天狗
ごきげんよう。ねぶとりです。12月師走になりました。
今年最後の月となりました。境内の夫婦イチョウは例年の如く、11月の中旬頃には黄金色に色付きましたでありんすよ。雌の木は、例の匂いの元、銀杏(ぎんなん)を落とした筈なのですが、銀杏拾いをしていかれた方々もいらはったとは思いますが、それにしても今年は匂いが少なくて不思議。木を見上げると未だ未熟な実が沢山枝に付いていて、多分このま ま落葉しても枝に付いたままかもしれませぬ。今夏、雨が少なく熟すことができなかったのかも。イチョウは水分を木そのものに蓄える為、水分を沢山必要とする木なのだそう。火事等熱気を感じると木から水分を一斉に放出するらしく、昔から神社仏閣の境内にイチョウが多いのは火防の意味もあるらしいんどす。
その昔、茶道の家元「表千家」が火災に合った際、隣の「裏千家」には千宗旦(せんのそうたん又は、せんそうたん) 手植えのイチョウの木があった為、イチョウから相当の水分が 発生し裏千家は類焼を免れたという逸話があり、現在でも宗旦イチョウは裏千家の守り神の様に大切にされているそう。因みに千宗旦さんは彼の千利休 (せんのりきゅう)さんの御孫さんどすえ。父は利休さんの養子になられた小庵(しょうあん)さんで、小庵さんと利休さんの娘(多分、前妻の子)との間に御生まれになったのが宗旦さんですから、利休さんが千家の祖とすると三代目となるらしいどす。
利休さんが秀吉さんから自刃を命じられた頃、宗旦さんは大徳寺でお坊さんとして修行していらはったそう。父親の小庵さんは蟄居を命じられ千家の茶道は危ない?・・・処が、此処会津に封じらていらはった蒲生氏郷 (がもううじさと)さんが小庵さんを匿うように御世話されたとか。氏郷さんは、利休七哲(りきゅうしちてつ)つまり高弟とされた武将の1人であったとも。因みに小庵さんは会津鶴ヶ城内に麟閣(りんかく)という茶室を造り、現在でも残されていて会津の茶道界の礎として、また観光の一つになっているのでありんすえ。その後、小庵さんは氏郷さんや家康さんのとりなしで赦免され都に戻ることができたそう(*^^)v 千家を再興させ、宗旦さんを還俗 (かんぞく) つまりお坊さんから一般人に・・・利休さん念願のわび茶を復興させたそう。宗旦さんのお子達が三千家に分かれそれぞれ現在まで茶道の根流になって続いているのでありまする。
処で小庵さんを匿った氏郷さん・・・レオ氏郷とも呼ばれるキリシタン大名で、元々会津の大名ではなく近江の日野から伊勢松阪、その後秀吉さんの命で伊達政宗(だてまさむね)さん抑えの配置名目で都から遠く会津に飛ばされた?・・・本来細川忠興さんを会津へだったのが辞退され氏郷さんがいらはることに・・・40万石とも90万石ともの大領をさずけられたそうだけれど、氏郷さんは例え少石でも都の近くに居たかったのでは(T_T)
氏郷さんは、信長さんが烏帽子親 (えぼしおや)となって娘さんと婚姻する程、相当の信頼を得ていた今でいう出来る男だったため、秀吉さんから恐れられて都から遠ざけられた とも。しかしながら、会津に来てからもその手腕は素晴らしく、楽市楽座の導入、近江や松阪商人を呼び寄せ雪国会津の商業経済の発展に尽くされたそう。現在でも会津では正月に初市があり、また会津名物で子孫繁栄を願う「起き上がり小帽子」という民芸品は、信長さんがだるまさん信仰していた為、だるまさんを模して作らせひろめたのではと(^^) おまけにキリシタンでありながら、真言宗の御本尊「大日如来」を何故か信仰していたという逸話もあり、辞世の句もかっこえーねん!「限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短かの春の山風」、レオ君、なんとなく好き♡
山風といえば妖怪仲間で有名な天狗がいますが、かつては山の中で修行者の妨げをする妖怪でした。あるお坊さんと戦って負けてしまった為それからは神社仏閣を守護するようになったという奴で、鞍馬山で義経さんに剣術を伝授したのが自慢で、火伏の神ともいわれている奴です。我が住処に今の季節に風と共にやってきて落ち葉を散乱させつつ、夫婦イチョウと共にお寺を火の気から護ってくれているのでありまする。たまには、散乱させるだけでなく沢山の絨毯化している落ち葉の片付けも手伝って欲しいんですけど(>_<)
まもなく、ゆきおんな雪ちゃんもやって来る季節、磐梯山は真っ白になりましたえ。この年末年始どなた様も体調には、お気をつけあそばせ!では、また次回。
